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『Episode of 大阪バーベキューバンド』


あの高く乾いた町
欧米人達が呑み、空け並べていくビールの空瓶
時計も要らない、時間という観念も無くした空間
そんな中で彼らのブルースは静かに流れていた・・・

d-zero(piano & vo)とdragon☆(guitar & vo)は
20代の頃の殆んどの時間をバックパッカーとして過ごしていた
アジアの様々な国をギターを担いで貧乏旅行をしていたのである
2人一緒に旅をしていたのでは無くそれぞれが行きたい所へ
行きたくなった時に自由な時間を過ごしていた・・・
そして彼らの行く空間にはいつも音楽とギターがあった

・・・・・
2人は小中高と同じ学校に通っていた同級生である
ただし一緒のクラスになった事は一度も無いのである
普段からいつも遊ぶ一緒のグループだったという事もなく
ただ家が歩いて1分位の近所の友達だった

中学の頃に2人共ギターを始めた・・・・ただこの時点ではお互いがギターを弾いている事は
知らなかったらしい
高校に入ると2人共バンドを始めた
d-zeroはパンクバンド、dragon☆はハードロックバンド
パートは2人共ギターボーカルだった

この高校時代
d-zeroは個性的で同級生達を引きつける歌詞を書き
曲を作り放課後の人気者って感じだった
家のガレージにプレハブを建ててそこが部屋だったので
いつもみんなの溜まり場になっていた

dragon☆はほぼ毎月ライブハウスで活動していて毎月
観客動員1位を続ける高校生人気バンドだった
この頃からdragon☆も家に帰る前にd-zeroのプレハブに
顔を出すのが日課になっていた
そして2人は音楽を通じて繋がっていったのだろう

高校を卒業する頃には2人共プロミュージシャンになる!と
公言していた
そしてプレハブには毎晩同じ夢を持った仲間達でいつも
溢れていた

d-zeroは卒業後に美容学校に通ってたらしいがそれも1日2日行っただけで辞めてしまったらしい
錫鮠だけで辞めてしまったらしい・・
それからは工場でフリーターをしバンド活動をしていた
周りの仲間達は彼の才能を感じていたので彼の周りには
彼と一緒に夢を追いたいと思う個性的は奴らがいつも
集まっていた
dragon☆はプロミュージシャンになる!と言って卒業式の
次の日に全財産の4万を持って東京へと行った
ただ金も無く、まず生きる為に住み込みで働きだす
夢か生活かわからない生活の中で何をしに東京に居るのかに
悩む日々だったと聞いた事がある
そんな夢の東京挑戦も1年ちょっとで挫折し大阪で
フリーターをしながらバンド活動をする

〜〜〜
20代の頃に彼らは旅を始めた
今までがバンドとただただ夢だけの毎日だった

そんな中で彼らはバックパッカーとして海外をうろつき
いろんなものを感じ、ただただ好きな音楽を奏でる時間に
喜びを感じる事にようやく気づいたと言っていた

彼らの旅はいつもバラバラだった
行きたいと思ったときに動き、行きたいと思った所へ行く・・
どこに居る〜

どこに居るかもわからない
中国やインド、タイ、ベトナム、ラオス、ネパール
そしてチベット等
アジアをギターを持って歩いていた
1990年代の事である


日本に帰って居た時に
2人はいつもの様に酒を呑みながらギターを弾いていた時に
次の旅の時に中国の雲南省で会おうって事で盛り上がった

そして彼らは別々の日に出国し
別々のルートで待ち合わせの日に雲南省の大理と言う町で
会った

当時大理は中国ではバックパッカーが集まる聖地的な場所だった
安宿やパッカー向けのカフェが沢山あり
何より観光地なので毎日が日曜日のような雰囲気だ

その大理で2人がよく行っていたカフェがある
『Jim's piece cafe』
チベット人が経営するバックパッカーカフェだ

オーナーのジムは彼らの弾くギターとボブマーリィが
好きな奴だった
ジムはよく彼らにギターを弾かせビールを呑んでいた

d-zeroとdragon☆がある晩にジムにのみに行った
店には20人くらいの欧米人バックパッカーが溜まっていた
グループとかも無く皆1人旅の連中なのでいつの間にか
酒が進むと1つの大きなグループになっている

・・・そんな中ジムが客のみんなにこいつらのブルースは
ナイスブルースだ!と酔っぱらって話しだす
そして弾け!弾け!と盛り上がり出す客達
2人はギターを持って店に戻り3コードブルースで
いつもの様に弾き始めた

欧米人に向けてブルースを弾く日本人ってのが
受け入れられるのかとも心配したらしいが酔っぱらった
欧米人達はかなり盛り上がった!
そのまま朝の5時近くまで弾かされたらしい・・

その宴はそれから毎晩続いた
昼間に町で会ってもその欧米人達に今夜も待ってるからなと
声をかけられて2人も悪い気はしなかった
むしろ今までギターを弾いてきたのはこの瞬間ここで
弾く為だったのかとも思っていた

毎晩0時〜〜始まる宴は朝の5時頃まで続いた・・
・・・いつからかその宴は自然発生的に何故か0時スタートと決まっていったらしい

そして朝の5時に客も帰り閉店後に店に残っているのは4人だった
d-zeroとdragon☆、そしてジムとジムのカフェで旅費を浮かす為に
寝泊りと厨房でコックをしているアメリカ人のアランだ

5時から毎朝4人で仕事終わりの1杯に出かけていた
しかし時間も時間であるからそうそう店も空いてるものでもなく
毎朝決まって行くのは1件だけその時間までやってる網焼きの屋台
だったテーブルは無い、炭火の上に乗せられた小さな網を4人で
囲む。 椅子も地面から20センチ位しかない小さな椅子
ビールもそのまま地面に置くスタイル
毎日決まって鳥のモモを頼んだ、それとビール
1人1人大瓶のビールと鳥もも1つ、コップも無いしラッパ飲みだ
鳥もなかなか焼け辛くオーダーするとその鳥モモと火を通りやすく
する為に刻むナイフも付いてくる

彼らはよくその朝の光景を語ってくれる・・
1日の始まりをゆっくりと白みを帯び出した空だ教えてくれる
朝早い何人かの人達とセイロから上り出す煙などが朝にしても
いいかと尋ねてくる《もういいかい?》

《もう いいかい?》って
まぁだだよ
彼らはどこか心地良いその最後に呑むビールを良く覚えていると

ある朝、彼ら4人はその屋台でバンド名を決めようと盛り上がっていた
らしい
よくジムが適当に『東京バンドぉ〜』って客に紹介していたので
やはりブルースは大阪やし2人共生まれ育ちも大阪やから
東京ってのはちょっと・・
じゃ大阪バンドってのも・・

その時、酔って気持ち良さそうはジムがいつもの笑顔で
鳥を焼いてる網を指差しながら冗談っぽく言った・・
『バーベキューバンド ライッ?』ハハハハハ


・・・!!!いいやんっ!!!

『大阪バーベキューバンド』
d-zeroもdragon☆もいろんなバンドでやったがこの名前が
一番お気に入りらしい・・


d-zero   1967 Dec生まれ Osaka
dragon☆ 1968 Jan生まれ Osaka

未だに彼らは変わりなく
自分達が音楽を楽しむ方法だけを見つけているようにも見える・・でも
私はそんな彼らと同じ空間に居る時にすごく
言葉にならない心地良さを感じる一番のファンなのかもしれない
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